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南河内サイクルラインを歩く(前編) [ウォーキング]

前回の投稿からずいぶん時間がたってしまいました。さいわい新型コロナに罹患したわけではなく、単にネタ不足だっただけです。さらに今回のネタは、3月7日(日)のお話。今よりもずっと肌寒い時期のことです。
さて、私は大阪は南河内に在住しておりますが、そこに南河内サイクルラインなる、自転車専用道路があることを知ったのはつい最近のこと。大和川のある地点を起点にして、最後は河内長野市に至る、全長21.1kmのルートです。ルートの約3分の2は川の堤防や河川敷の専用道路を走る気持ちのいい道で、車やバイクが走らない分だけ比較的安全なコースと言えます。ただ、かなりのスピードで疾走する自転車は少なくありませんが、それでも歩行者の傍を走るときは多少はスピードを落としているような感じは見受けられました。

全コースはこの通り。南河内を知らない人にはちんぷんかんぷんだと思いますが、一応載せておきます。
0.全体図.PNG
この道の存在を知ってから私は、いつかここを完走してやろうと考えていました。「完走」とはいっても実際に「走る」のは肉体的にもう不可能なので、歩いて完走(歩)するぞ、と。
とはいえ21.1kmといえばフルマラソンのちょうど半分、なかなか歩ける距離ではありません。それなりに時間も必要ですし、なにせルートは堤防上や河川敷ですから、風が強いともろに影響を受ける。寒いのもかなわん、ということで、天気や体調などを踏まえて虎視眈々とチャンスをうかがっていました。
で、実際に歩いたのは、3月7日(日)。この日は多少気温は低かったものの、予報は晴れ時々くもり。よし、と心を決めてこの日に決行しました。
起点は【ココ】(←クリックどうぞ)
八尾市の大正橋右岸北詰め。八尾空港の南側。
スタート時間は8:32。歩数は、ここまでのアプローチで既に3,512歩を要していました。
1.スタート(3,512歩).jpg

ここから堤防上を東に進みます。彼方に見える山並みは、左から二上山(にじょうざん)、葛城山、そして大阪府最高峰の金剛山。ゴールの河内長野市は、この金剛山の麓(というには距離があるが)です。
2-1.右端の山の麓まで.jpg

ちなみに二上山手前の丘のような山は小松山(※)。

国道170号線、通称:大阪外環状線を8:49に横断し、大和川の右岸を進みます。
3.R170号を渡り.jpg
4.大和川右岸を行く.jpg
3km地点を通過(9:10)し、
5.「3km地点」通過.jpg

その後すぐ近鉄・道明寺線の踏切で南方向を撮影[カメラ]
一直線に伸びる鉄路が何かいい感じ(^o^)
6.近鉄道明寺線の橋梁にて南を望む.jpg

大和川から石川(大和川の支流)に入ってしばらく行ったところでルート序盤の
案内板を発見。・・・・かなり年季が入ってるな(^^;
7.序盤部の案内板.jpg
その案内板から河川敷のルートを撮影。こんな道がしばらく続きます。
ここには写っていませんが、この先には野球のグラウンドが多数あり、おじさんや少年が野球に興じていましたよ。
途中で休憩なんぞを入れつつどんどん行く。
8.河川敷の気持ちいい道が続く.jpg
これは、その筋では有名な玉手橋
日本で唯一の五径間の吊り橋で、まあ詳しく書くと、「鉄筋コンクリート造主塔、鉄製トラス補剛桁5径間吊橋」なわけです。ちなみに、架けられたのが1928年:昭和3年というからオドロキですね。通過は9:47。
9.玉手橋.jpg
さて、南河内サイクルラインのルート上には、所々にこのような案内板があります。自分の現在地を知るのに大変便利です。この時点ではまだまだ先はとてつもなく長く、あまり見たくもないような状況ではありましたが(笑)
10.ところどころにある案内板.jpg
桜並木の堤防上を歩いていると、右手に世界遺産、百舌鳥古市古墳群の中核を成す古墳のひとつ、応神天皇陵古墳が見えました(左側)。右に見ゆるは仲姫命陵古墳。ちなみに古墳造営のエキスパート、土師(‶はじ”と読みます)氏はこの近くに住んでいたそうです。近鉄・南大阪線には「土師ノ里(はじのさと)」という駅もあります。その近鉄電車が見えますね。
撮影は10:08。
11.応神天皇陵古墳(左)と仲姫命陵古墳.jpg
西名阪自動車道の下をくぐり、こちらは再度近鉄南大阪線(撮影10:21)。線路は二上山の麓を通り、橿原神宮や高松塚古墳で有名な飛鳥を経て、やがて吉野山方面へと続いていきます。
12.近鉄南大阪線をくぐり.jpg
出発から約2時間、ようやく8.9km地点に到達[exclamation×2] 休憩を含めて時速約4.5km/hですから、ペースとしては順調な方かな。
13.8.9km地点(10時38分).jpg
自転車が気持ちよさそうに走っていく。私のような歩行者やランナーももちろんいますが、この道の主役はやはり自転車。ロードバイクというんですか、結構なスピードで走りつつも、歩行者との住み分けはきちんとできているようでした。
14.気持ちのいい道.jpg
しばらく行くと、関西シクロクロスという自転車の大会が行われていました。
こちらがその公式ブログ→https://kansaicross.com/
まあ私にはほとんど関係がないけど・・・・。
16.その2.jpg
15.関西シクロクロス大会開催中.jpg
時刻は11:33、約5分の3の12.4km地点。南河内サイクルラインのハイライトのひとつ、石川サイクル橋までもう少し。
17.5分の3に到達11時33分).jpg
17-2.河南橋手前.jpg
そしてその自転車歩行者専用橋の石川サイクル橋へ。時刻は11時41分。
18.石川サイクル橋到達(11時41分).jpg

19.これを渡って河川敷で昼食.jpg
この橋を渡った河川敷で昼食。30分ほどの休憩で力を取り戻す[exclamation]
積み重ねた歩数は、合計22,000を越えていました。
(後編に続く)
※小松山は大坂夏の陣の激戦地のひとつで、後藤又兵衛基次はここで徳川の大軍を迎え撃ち、激戦の後、衆寡敵せず討ち死にを遂げました。

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南河内サイクルラインを歩く(後編) [ウォーキング]

この辺りで、PL教団の大平和記念塔が見えてきました。いや、もっと前から見えてはいたのですが、存在感が増してきたといいますか、まあそんなような感じ。
20.PL教団の大平和記念塔.jpg
PL教団・・・・皆さまには、高校野球で有名だったPL学園の運営元(?)とでもいえば
「ああ、あれか」
と思われることでしょう。
調べてみたら、『1970年(昭和45年)8月1日 に落成』とありました。建ってからもう半世紀以上も経つのか・・・・とあらためて驚き[がく~(落胆した顔)]
子供の頃に上った記憶は何となくありますが、現在は上ることはできないそうです。
さて、歩を進めます。
現在地です。中央上部のやや右に「現在地」の標記が見えます。図の左下がスタート地点ですから、だいぶゴールが近付いてきました。
ちなみに左下に聖徳太子のイラストが描かれているのは、ここからほど近くにその廟所である叡福寺があるからです。このとき時刻は12:24。
21.近付いてきた(12時24分).jpg
12:34、スタートより14.5km地点に到達。あと約3分の1・・・・長いな・・・・[ふらふら]
22.あと約3分の1.jpg
PLの塔がずいぶん大きく見えてきました。こんな角度で見るのは初めてだ。
23.塔がこんなに大きく.jpg
角度といえば、二上山がこんな角度で見えていました。
24.二上山がこんな角度に.jpg

[右斜め下] これはスタートから30分ほど歩いた地点からの遠景。左端が二上山です。
2.右端の山の麓まで.jpg

この角度の違いが、すなわち私が移動してきた距離なわけですよね。・・・・ちょっとわかりにくいか(^^;

ここは国道309号線、川西大橋東詰め。自転車専用道路はここで終わりを告げ、南河内サイクルラインはここから国道沿いを走ることになります。
25.専用道はここまで.jpg
26.ここから車道に.jpg
そして、それと同時にサイクリストの姿を見掛けることはほとんど無くなりました。ここからゴール地点までの間に見掛けたサイクリストは一人のみ。そりゃあそうでしょう。あんなに気持ちのいい堤防や河川敷を走っていて、あえてこの先車道、しかも交通量の多い幹線道路を走りたいとは思いませんもの。大半の方はここから引き返すか、あるいはもう少し先まで伸びていそうな堤防上の道を走るのだと思います。
私は今回は、とりあえず南河内サイクルラインのルートを忠実にトレースしてゴールしようと考えていたので、その方向に足を踏み出しました。
さて、R309を西へ少し歩くと、R170に合流します。スタートしてからすぐに横断したあの国道です。道路の行先表示板がうるさいぞ(笑)
27.再びR170に合流(13時9分).jpg
ここから先が長かった・・・・。距離にしてまだ約4分の1が残されています。道は、気持ちがいいとはとても言えない交通量の多い国道脇の歩道、ひたすらゴールを目指して歩くしかありませんでした。もう二度と歩かんぞ、こんなトコ。歩いてもさっきの川西大橋で引き返す、などと誓いながらゴールを目指し、やがてルート上6つ目の市、河内長野へ突入。八尾、柏原、藤井寺、羽曳野、富田林と歩を進めてきて、ついに最後の市までやってきた。
ちなみに河内長野の「長野」は、長野県のように山が多いから、というのは嘘か真実(まこと)か。
28.6つ目の市、河内長野に突入(13時36分).jpg
南海高野線を跨ぐと(14:11)ゴールは近い(はず)。
29.南海高野線を跨ぐと.jpg
 見えたか[exclamation&question] あそこか[exclamation&question]
30.ん、ゴールが見えたか?.jpg
キタ~~~
31.キタ~!.jpg
GOA~L!!
32.GOAL!(14時16分).jpg
時刻は14:16。そして歩数計(スマホ)は33,349歩をカウントしていました。スタート地点で3,512歩でしたので、差し引き29,837歩で21.1kmを歩き切ったことになります。要した時間は5時間44分。このとき私は、右足の付け根に鈍痛と、同じく右足の裏にも痛みを覚えていました。
ここから河内長野駅(近鉄・南海)までまた約1kmを歩き、電車に乗って家に帰ります。
駅近くの七つ辻にはこのような標石があり、
33.R371起点の碑.jpg
そして駅前にはこのような碑が。この街が高野山への入り口だということがよくわかりますよね。
34.河内長野駅前.jpg
35.駅前の碑.jpg
河内長野駅は近鉄と南海が線路を並べており、左の南海は難波へ、右の近鉄は阿部野橋(≒天王寺)へと続きます。
36.左南海、右近鉄.jpg
振り返れば南海は高野山へ。ちなみに近鉄はここが終点。
37.振り返って(右の南海は高野山へ続く).jpg
ここから近鉄に乗って帰宅の途に就いたわけですが、私が6時間近くかけて歩いた道のりを、電車はわずか20分ほどで走破しました。あまりにも当たり前すぎて深く考えたこともありませんでしたが、何かこれはとてつもなく凄いことで、文明の利器とでも言いますか、便利な時代に私たちは生きているんだな~と、あらためて実感した次第。
この日、起点へのアプローチに約2km、南河内サイクルラインで21.1km、終点から駅まで約1km、さらに最寄駅から遠回りをして帰宅したのでその間約5~7km(適当)、合計30km前後をこの日に歩ききりました。総歩数は51,569歩。距離は36kmになっていますが、これは歩数×設定歩幅(70㎝)の単純計算の結果ですので、あまりアテにはなりません。
38.総歩数.JPG
いや~、とにかくお疲れさまでした。
全区間完歩というようなアホなことはもう二度としないでしょうけれど、途中の道明寺から川西大橋の間で区間を決めて歩くことはあると思います。気持ちのいい道でしたしね。
よくやったぞ、俺[わーい(嬉しい顔)]

次は、かつて大坂~奈良間の大動脈だった、龍田古道を歩こうと思います。戦国時代が好きな人は、大坂夏の陣(冬の陣もだったかな?)で、徳川家康が通ったルートとでもいえばお判りいただけますでしょうか。その名も「国分」、まさしく国と国とを分ける要所・・・・・前回の、後藤又兵衛が討ち死にした地点のすぐ近くから、奈良に向けてのウォーキングです。どこまで歩くかは気分次第。ただ、ゴールはあのお店に決めてはいますが。

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